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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)18号 判決 1957年12月24日

原告 サミカ・ソシエテ・デ・アツプリカシヨン・デユ・ミカ

被告 特許庁長官

主文

特許庁が同庁昭和二十八年抗告審判第一二五五号事件につき昭和二十九年十二月二十四日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。

原告訴訟代理人は請求の原因として、

一、原告はフランス共和国の法律により設立された同国の国籍を有する法人であるところ、「雲母紙、雲母板及塑造物の製造方法」なる発明につき、西歴一九四七年五月十二日及び同年八月十九日に同国でした特許出願に基ずき、連合国人工業所有権戦後措置令第九条による優先権を主張して昭和二十六年九月二十八日特許庁に特許出願をした。これに対し拒絶査定がされたので、原告は昭和二十八年八月七日抗告審判の請求をし、同事件は特許庁昭和二十八年抗告審判第一二五五号事件として審理された上、昭和二十九年十二月二十四日右抗告審判請求は成り立たない旨の審決がされ、同審決書謄本は昭和三十年一月十五日原告に送達された。

審決の理由の要旨は、本願発明の要旨はその明細書の記載により「部分的脱水を喚起する程充分高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度に雲母を加熱し高温度の侭又は冷却後これを只一種の水溶液中に浸漬して水溶液を攪拌し水の機械力により雲母薄片を解舒してパルプを生成し適当の製紙機又は塑造型に供給することを特徴とする雲母紙、雲母板及び塑造物の製造方法」にあることが明らかであり、又原査定で拒絶理由に引用した特許第一七一一九一号明細書の発明の詳細なる説明の項には「雲母鉱を加熱した上、水又は酸溶液中に投じ冷却して指先などによる剥層を容易ならしめること」が記載されてある。本願発明の要旨と右引用例の記載とを比較するに、両者は「雲母鉱を加熱し高温としたものを水性液体に投入冷却して薄片を解舒せしめる雲母の剥層法であること」に於て一致し、ただ後者には加熱温度について「部分的脱水を喚起する程高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度」とすること及び「加熱雲母を水性液体中に投入後、特に攪拌し、水の機械力によつて解舒し得られる雲母パルプを適当な製紙機又は塑造型に供給して雲母紙、雲母板、塑造物等を製造すること」について記載されてない差異があるだけである。ところが雲母は灼熱によつて一部の水を失うことは例えば昭和二十五年九月十日岩波書店発行、石原純著「理化学辞典(新増補改訂版)」第一三八-一三九頁中の記載によつて本件特許出願前周知となつているばかりでなく、雲母を剥層する為に加熱後水性液中に投じ攪拌し、水の機械力によつてパルプとすること、得られるパルプを適宜製紙機で抄造し、又は圧搾成型することは極めて古くから周知となつている事実である(もし必要ならば大正十年七月十九日に特許された第三九三二二号特許明細書参照)から、本願は上記引例から当業者が容易に到達し得るものと認められ、特許法にいう発明と見られない。というにある。

二、然しながら審決は次の理由により違法のものである。

(1)  審決は特許法第百十三条第一項により抗告審判に準用される同法第七十二条に違反したものである。即ち本件特許出願に対する拒絶査定の理由は「雲母を加熱して冷却しない中に溶液中に投入して急冷させ雲母を剥離することは本件特許出願前周知のことであり(例えば特許第一七一一九一号明細書、特許第八〇六四一号明細書等)、本願は部分的脱水を喚起するに十分高い温度で行うことを特徴としているが、加熱温度の選定は当業者が任意にし得る程度のことであるから、本願は上記周知事実から容易にし得る程度のものであり、特許法第一条の特許要件を具備しない」というにある。然るに審決の理由は前記の通り本願と特許第一七一一九一号との相違を認めながら、新に昭和二十五年九月十日岩波書店発行石原純著「理化学辞典(新増補改訂版)」第一三八-一三九頁の記載により本件特許出願前周知となつていること、及び大正十年七月十九日に特許された第三九三二二号特許明細書の二個の刊行物を引用し、これより当業者が容易に到達し得ることと認められるものとしたのは、新な拒絶理由を根拠としたものに外ならないところ、原告はこの新な拒絶理由に対し特許法第百十三条第一項、第七十二条所定の意見書提出の機会を与えられなかつたものである。

(2)  原告は昭和二十八年二月十一日附をもつて特許庁に提出した意見書及び抗告審判請求書で主張した通り、「部分的脱水を喚起する程高きも全体の水分を除去する温度以下に雲母を加熱すること」を以て本願発明の最重要点として主張し、この温度は摂氏七六五度乃至九四〇度の範囲の高温度であつて引用特許第一七一一九一号の摂氏三〇〇度乃至四〇〇度の範囲の低温度に加熱するものでないこと、及びこのように雲母を特定の温度に加熱し雲母を一部脱水を喚起した状態とした上で水浸漬攪拌をしなくては本願発明が目的とするところの一ミクロンに達する雲母微薄片のパルプが得られないことを主張したのである。即ち本願発明の要件は

(イ)  雲母が部分的脱水を喚起する程充分高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度に雲母を加熱し部分的脱水をすること。

(ロ)  高温度の侭又は冷却後これを只一種の水溶液中に浸漬して水溶液を緩徐に攪拌し、水の機械力により雲母を解舒して微薄片のパルプを生成すること。

(ハ)  適当の製紙機又は塑造型に供給して雲母紙、雲母板及び塑造物を造ること。

の三工程にあり、特に(イ)及び(ロ)の工程の結合を主たる要旨とし、(ハ)は(イ)(ロ)により得たパルプを所要の目的の形態に造る後処理工程である。

これに対し審決の説くところは結局は前記の新規引例「理化学辞典」記載の事項即ち「雲母を灼熱すれば一部の水が失われること」は公知であり、次に特許第一七一一九一号により加熱雲母を水溶液中に投入すれば剥離する、本願発明の主要部分なる前記(イ)及び(ロ)の工程の結合から成る方法は当業者が容易に到達し得られ、(ハ)の工程は古くより公知であるというのであるが、

(A) 本願発明の着想が特許法にいう発明に価するか否かの判断の基準は「雲母を灼熱すればその一部の水を失う」ことが公知であるか否かにあるのではなく、前記のように「雲母を一部の水を失うが全部の水を失わないような特定高温度範囲に加熱する事により雲母層間及び組織に特別の現象を起させることが必須要件であつて、このようにすれば急冷してもしなくても水溶液中で緩徐に短時間攪拌処理すれば厚さ一ミクロン程度の極微薄片の雲母パルプが得られる」現象がその出願前公知であつたか否かにある。然るに審決がこの微妙な工業技術を看過し、これに対する公知例をも示さず、本件優先権主張日なる西歴一九四七年五月十二日(昭和二十二年五月十二日)以後の新増補改訂刊行(刊行日昭和二十五年九月十日)に係る前記「理化学辞典」中の片言隻句を唯一の根拠として本件特許出願を排斥したのは、審理不尽理由不備の違法がある。

(B) 審決において主たる拒絶理由に引用された特許第一七一一九一号と本願発明とはその要旨を全く異にしている。即ち特許第一七一一九一号の発明では(イ)雲母鉱の側縁を層に対し約四十五度の角度を以て斜切すること、(ロ)然る後加熱して水中に浸漬するか或は稀薄酸に浸漬した上剥層すること、がその要件となつている。然るに本願発明は右(イ)の要件を必要としない。又(ロ)の要件ではただ漠然と加熱するといつているだけであつて、本願発明のように雲母を予め部分的脱水を生ずる温度(摂氏七六五度)以上で全体の水分を除去する温度(摂氏九四〇度)以下の範囲の温度まで加熱して一部脱水することにより、雲母層間に特殊の自己作用を生ぜしめ、緩徐なる外力により自然の極微薄層(厚さ一ミクロン程度)に剥離し得る状態に組織を変化させた上で水溶液中に浸漬し、攪拌による水の機械力を加えて雲母を一ミクロン程度の微細薄片に剥離して雲母パルプを造る着想は認められない。即ち本願方法における加熱の温度条件は雲母の層間剥離が容易になるように組織中の結晶水の一部を放出させる為のものであつて、このように雲母の組織を変化させるのであるから、この変化した雲母を、高温の侭でも、又常温まで冷却した後にでも、水その他の溶液中に浸漬すれば同一の効果を生じ、これにより得られる厚さ一ミクロン程度の極微薄片はそれ自身粘着する性質を持ち、別に何等の粘着剤を使用することなしに層合し、雲母紙を造り得る雲母パルプが得られる特徴があるのであつて、引用特許の加熱急冷の思想や、雲母鉱を単に稀薄酸中に数日浸漬し水洗剥層する方法ではなく、引用特許の思想、方法はいずれも雲母鉱の加熱、水中急冷又は浸漬による層間膨潤により剥層を容易にするものにすぎないのであつて、本願の方法とは全然その思想を異にしており、引用特許の方法によつては絶対に一ミクロン程度の微細薄片は得られないのである。然るに審決が単に雲母が灼熱されると一部の水を失うとの前記理化学辞典中の文詞(同辞典の右文詞の個所には雲母は「灼熱によつて幾分の水を失う、この水は結晶水ではなく構造水である」と記載されてあり、結晶水を放出させる本願発明の方法とは全く別異のものであることが明らかである)を新に引用することにより本願発明における雲母を特定の温度に加熱することにより極微薄片が得られるとの未知の事項に容易に到達し得るとした点にも審理不尽理由不備の違法がある。

三、よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだ

と述べ、

被告指定代理人は事実の答弁として、

原告の請水原因一の事実を認める。同二の主張を争う。即ち同二の(1)の主張につき、元来雲母はその微細片を成形して種々の雲母型造品例えばマイカレツクス等として用いることが周知であり、又その為に雲母を剥離する方法として加熱と水を作用させることも亦周知であつた。従つて本願方法におけるこの成形工程には何等の特殊性も見出されず、又特許庁における本件特許出願に対する審査及び抗告審判事件の経過に照しても、いわゆる「つけたり」に過ぎず、成形工程との関係において加熱剥層、微細化等の予備処理工程が主要部をなしていることが明らかである。従つて右の「つけたり」の部分なる成形工程の周知性については改めて抗告審判請求人に拒絶理由を通知する必要はなく、審決が右成形工程につき大正十年特許第三九三二二号を一例として挙げても拒絶査定と根本的に拒絶の理由を異にしているのではないから、この点につき原告に意見書提出の機会を与える必要はなかつたのである。又本願方法の要旨に含まれた「雲母を部分的脱水を喚起する程充分高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度に加熱する」ことにつき、その加熱の方法は雲母の物理的性質に徴し、そして前記の「理化学辞典」によれば右の加熱条件が赤熱又は灼熱であることが明らかであるので、審決は右の加熱条件を飜訳する為の辞書のように前記「理化学辞典」を引用したにすぎず、これから拒絶理由を新に生み出したものではない。従つて審決がこれ等の引用例につき原告に意見書提出の機会を与えなくても特許法第百十三条第一項、第七十二条に違反してはいない。

次に請求原因二の(2)の主張につき雲母が灼熱によつて一部の水を失うことが本件特許出願前周知となつており(乙第二号証昭和十二年十二月十日岩波書店発行旧版(改訂第二刷)の「理化学辞典」第一三八-一三九頁、乙第三号証、西暦一九三三年発行、昭和十年特許局陳列館受入、フランク・F・フアウル著、スタンダード、ハンドブツク、フオア、エレクトリカル、エンジニアズ参照)、一方特許第一七一一九一号明細書(乙第一号証)の発明の詳細なる説明の頃の前半には、雲母鉱を加熱してから水中に投じ剥層を容易ならしめ得ることが記載されてあり、且鉱物を加熱する場合、鉱物が通常熱に頗る安定であることや、熱源としては直火が最も得易いことからして本願方法の加熱温度即ち赤熱乃至灼熱が先ず用いられる方法と考えるのは当然であり、審決が右加熱温度の選定は当業者の任意にし得るところであると技術的に認定したのは当然である。又本願方法では加熱処理雲母を水と攪拌して水の機械力により剥離微細化するのであるが、審決がこの点につき本願方法と引用特許第一七一一九一号の発明の方法との差異を認めながら、この引用例から容易に到達し得るとした理由は水と攪拌して粉砕することは特許第三九三二二号明細書(乙第四号証)の記載を待つまでもなく、水の剪断力を応用した粉砕方法として周知のものであるのみならず、雲母微細片を成形することは周知となつているからであつて、以上の点につき審決には原告主張のような審理不尽理由不備の違法はない。

尚原告主張の厚さ一ミクロン程度の雲母の極微薄片には原告主張のような自己接着性はなく、単に辛うじて形態を保つものが得られるにすぎず、右薄片に原告主張のような特殊の作用効果は認められない。

抑も雲母はこれを加熱したとき劈開が完全である為各鱗片はその面積の大小に拘らず、小量の水の存在に於て附着し合う性質を持つていて、それが乾いても軽く附着しているものであり、これ等の性質は雲母の当業者間では周知となつている。この周知の性質を利用して抄紙しようとするのが特許第三九三二二号の雲母紙製造法であり、本願の雲母紙製造法であつて、物理的に見て、いずれも各薄片が水に濡れた時にもつ弱い附着力を利用したものに外ならないのであつて、原告が本願方法におけるいわゆる極微薄片が神秘的な特殊の粘着力を有し本願方法のみがこの力を利用したもののように主張しているのは誇大な表現であつて失当である。而して右極微薄片にこのような特殊の粘着力のないことは本件特許出願明細書に粘着剤なるメラミンフオルムアルデヒドを使用することが記載されてあることによつても明らかである。

尚「理化学辞典」中の原告主張の「含まれている水は結晶水でなく構造水である」と言つているのは、結晶水の語を狭義に使用したものであつて、通俗には結晶水と構造水とを峻別していない、狭義に定義すれば「化合物が水溶液から結晶となつて析出するに当り、水が結晶中に化合して含まれ、水化物を作る時、この水を結晶水と云う」であり、「水酸イオンが結晶構造の中に他のイオンや原子と同様に入つて格子圏を占めるとき構造水と云う」であつて、原告はこの結晶構造を構成する水酸イオンを水化物と均等視して結晶水と呼んだに過ぎないのであつて、雲母から放出される水は本願方法によるものも、引用例の方法によるものも共に同一の水酸イオンから出るものであつて、原告の主張するような別異のものではない。

と述べた。

原告訴訟代理人は、被告の右主張に対し、

特許第一七一一九一号明細書には雲母鉱を三〇〇-四〇〇度に二-三時間加熱して水に投じて急冷するか或は稀硫酸溶液中に数日浸漬した上剥層することを記載してあるだけで、本願方法における雲母鉱を「部分脱水を喚起する程度に高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度に加熱する」こととは全く異り、雲母をただ相当の厚さをもつて剥離する従来の方法を示しているにすぎない。本願明細書中の実施例に掲げてある加熱温度も雲母鉱の種類に応じ若干の差異はあるが、マスコバイト雲母(白雲母)に対し摂氏七九〇度、八〇〇度、八二〇度、八五〇度に加熱しており、右引用特許の方法における三〇〇―四〇〇度とは重要な処理温度の条件として顕著な相違がある。

又審決の判断の基準となつた前記「理化学辞典」中の「雲母は灼熱により幾分の水分を失う」なる記載にいわゆる灼熱の温度如何につき、同辞典中には何等の記載もなく、摂氏三〇〇―四〇〇度でも直火で加熱すれば灼熱されるのであつて、右のように単に灼熱というだけでは本願方法が周知のものであるか否かの判断の基準とはなり得ない。

本件特許出願明細書でメラミンフオルムアルデヒド樹脂を添加しているのは雲母紙製造の際の樹脂加工であつて、雲母紙の不滲透性を増加させる為のものであり、被告主張のように粘着剤の作用をさせる為のものではない。

と述べた。

(立証省略)

理由

原告の請求原因一の事実は被告の認めるところであり、成立に争いのない甲第一号証(本件特許出願訂正明細書)によれば本願発明の要旨が「部分的脱水を喚起する程充分高きも全体の水分を除去する温度以下の高温度に雲母を加熱し、高温度の侭又は冷却後之を只一種の水溶液中に浸漬して水溶液を攪拌し、水の機械力により雲母薄片を解舒してパルプを生成し、適当の製紙機又は塑造型に供給することを特徴とする雲母紙、雲母板及び塑造物の製造方法」に存すること、尚右明細書には発明の詳細な説明の項に、右の加熱温度が大約摂氏八〇〇度前後であるること、浸漬用の液は水、酸溶液、アルカリ溶液等であること、浸漬液の攪拌はあまり強烈にすぎないようにすること、このようにしてそのままで抄造し得るパルプを生成することが示されてあることが認められる。

よつて審決に原告主張の違法があるか否かにつき審案するに、成立に争いのない乙第一号証(特許第一七一一九一号明細書)によれば審決の引用する同特許発明の要旨は「雲母鉱の側縁を層に対し約四五度の角度をもつて斜切し、然るに後これを加熱後水中に投じ急冷するか或は稀薄酸液に浸漬後剥層する雲母の剥層法」であつて、尚右明細書の発明の詳細な説明の項に右の如く雲母鉱の側縁を斜に切ることによつて加熱後の水冷効果或は酸液処理効果が各雲母層の深所まで達し、剥層を容易ならしめ得るものであつて、加熱温度は大約摂氏三〇〇乃至四〇〇度であることが示されてあることが認められる。そこでこれと本願発明とを比較するに、右認定の本願発明の内容及び全然処理を施してない雲母屑なること当事者間に争いのない検甲第一号、同様の雲母屑に十五分間摂氏八二〇度の熱処理を施したものであること当事者間に争いのない検甲第二号、検甲第二号と同様の雲母屑を一〇%の塩酸水溶液で処理したものであること当事者間に争いのない検甲第三号、検甲第三号と同様の材料を水中において緩徐に攪拌して水の叩解力のみを利用して得た雲母のパルプなること当事者間に争いのない検甲第四号、右と同様の雲母パルプを全然接着剤を使用せず、又メラミンフオルムアルデヒド樹脂のような糊着剤を使用せずに抄紙して得た雲母紙であること当事者間に争いのない検甲第五号に徴すれば、本願発明では結局微粉末とならない程度のそのままで抄紙し得る微細な薄片の雲母のパルプを得る目的を以て前記の通り雲母鉱を摂氏八〇〇度前後に加熱した上水その他の液中に浸漬攪拌するに対し、右引用特許の方法は単に雲母鉱の層間の膨潤を来すことにより剥層を容易ならしめようとしたものと認むべく、両発明はその目的、要旨を異にし、右加熱温度等から見て引用特許の方法によつて得られる雲母片は本願方法によつて得られるものに比しむしろ遥に厚い大片であつて、本願方法の目的とするような微細な薄片に引用例の方法によつては得られないものと認めざるを得ず、従つて本願発明が右の引用特許発明から容易に推考し得られるものとすることは到底できない。従つて審決が特許第一七一一九一号を引用してこれを拒絶理由としたのは失当といわなければならない。

次に審決が引用した新増補改版「理化学辞典」が昭和二十五年九月十日発行に係ることは被告が明らかに争わないからその通り自白したものとみなすべく、右発行日は本件特許出願の優先権主張日なる西暦一九四七年五月十二日及び八月十九日後に属することが明らかであるから、審決がこれを、本願前周知であつた事項の例証として引用したのは失当としなければならない。然しながら右理化学辞典の旧版(昭和十四年十二月十日岩波書店発行)なる成立に争いのない乙第二号証にも前記新版にあると同一内容の「雲母は灼熱によつて幾分の水を失う、これは結晶水ではなく構造水である」なる記載が存することが認められるけれども、右は本願発明の要旨を開示したものと認め難いこと勿論であり、右灼熱により一部脱水が行われることだけはこれによつて周知であると言うことができるけれども、本願方法における雲母の極微薄片化なる特殊の目的をもつてする特殊の加熱条件が右の周知の事実から当然に推考できるものとは到底言い難いから審決が理化学辞典を引証したのは結局失当としなければならない。

又審決が新に引用された特許第三九三二二号につき、成立に争いのない乙第四号証(右特許明細書)によれば同特許発明は、朝鮮産雲母を赤熱以下に加熱し、雲母の本体たるムスコバイトに混在するゼオライトの包含水分を発散させて雲母の構造を粗{髟休}とし、次いで酸液に浸漬してゼオライトを溶出させ、水洗脱酸後ロールで処理して細鱗状とし、サイズを加えて製紙するか、更に雲母板を製造する方法であることが認められるところ審決が右特許第三九三二二号を引用し、本願発明が右引用例から容易にし得るものであつて、発明とするに足りないと判定したのは拒絶査定の理由と異る新な理由を以て本件特許出願を排斥したものと解される。然るにその点につき出願人たる原告に意見書提出の機会を与えたことを認むべき何等の資料もないから、右意見書提出の機会は与えられなかつたものと認むべく、右は特許法第百十三条第一項により準用される同法第七十二条に違背したものであつて、この点に於ても審決は違法のものと言わなければならない。

然らば審決が以上の通り本願発明とその目的要旨を異にする特許及び本件に不適切な「理化学辞典」を引用し、本願発明がこれ等引用例から容易に到達し得るものとし、且つ右引用例のあるものについては審決に於て新に引用したものであるに拘らず、抗告審判請求人たる原告に意見書提出の機会を与えずして本件特許出願を排斥したのは失当であつて、以上当裁判所の説示したところに照らし、これに反する被告の主張はすべて認容することができない。

よつて審決の取消を求める本訴請求を正当とし、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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